« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月24日 (日)

さよならありがとう。

三年前のことです。
私のお腹に赤ちゃんが来てくれましたが、心拍を確認すること無く、9週でさよならをしました。

稽留流産でした。

痛みも出血もなく、じっとお腹の中にいてくれたので、手術をしました。

赤ちゃんの状態が良くないと初めて知らされた診察の時も、手術が決定した時も、病院の行き帰りの車には、私が好きになりたてほやほやの、再始動して出たばかりのユニコーンのアルバムがかかっていました。
運転しながら正気を保つのに、曲にとても助けられたのを覚えています。

それから三年。今年の冬のことです。

再び私のお腹に赤ちゃんが来てくれました。

心拍が確認できたときは、帰りの車で思いがけずに涙がぼろぼろこぼれました。

嬉しくて、ほっとしたんだ。

回復も割り切りも早く三年過ごしてきたけれど、ここにきて、あの時のことを気にしてたんだな、と気づきました。
運転中は何となくユニコーンの曲をかけることができませんでした。
無意識の願かけのような。

それなのに。

しばらくして、お腹の赤ちゃんに異常が見つかりました。

頸部のう胞リンパ種といって、頸部に大きな腫瘍ができていました。
染色体異常の可能性も高く、妊娠を継続するのも難しい、もし生まれても合併症がかなり多いであろう、と伝えられました。

赤ちゃんがまだ苦しみの少ないうちに、人工的にさよならをしよう。
と、家族で決断を下して先生に伝えました。
赤ちゃんは十三週に入っていました。
その日は、皮肉にも私たちの結婚記念日でした。

その三日後に入院し、翌日手術をすることになりました。
私は帝王切開をしているので子宮収縮剤が使えず、手術となりました。

それにしても、手術前の子宮口を広げる処置は、(二回目ですが)やっぱり死ぬほど痛くて、過呼吸を起こしかけました…
女性の医師(補助の方?)がずっと手を握って優しく励ましてくれて、痛みじゃなくてありがたさで涙が出ました。

そして、この日(手術前日)分かったこと。
お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていました。
思えば親孝行な子で。
これまで痛みも出血も無かったし(つわりはかなりあったけど…)、最後に「生きたままさよならさせる」という親の罪悪感も無くしてくれて。

翌日の夜、無事に手術を終えました。

術後の回復も問題無く、手術翌日には退院できました。

十三週での死産は埋葬が必要になります。
役所で埋葬許可証をもらい、それを提示することで赤ちゃんを連れて帰ることができるのです。

一泊我が家で過ごしてもらって、翌日火葬場に行きました。
日曜日だったので、家族、親戚がお別れに来てくれました。
これもまた親孝行な子…
スタッフの方の技術で、赤ちゃんの骨が残っていました。
(通常、小さな胎児の骨を残すのは難しいらしい)
小さな骨壺に入れて、一緒に家に帰りました。

手続き上必要なこともあり、名前をつけました。
まだ性別が分からない時期だったので、男の子でも女の子でもいい名前。
娘から一文字とりました。

埋葬の翌日には、近所のお寺でお経をあげてもらいました。
このお寺は娘のお友達のおうちで、お母さんとも仲が良くて事情をよく知っているので、入院前にもとってもお世話になりました。

お経を聞きながら…
今回、また、娘に兄弟をつくってあげられなかったけど…
病院の先生方、看護師の方々、埋葬場のスタッフの方々、お寺の方々、そして家族、親戚のみんなに、この子は本当によくしてくれて、

「ありがとう」という思いしか出てきませんでした。
悲しいとか、つらいとかは何故かあふれずに、ひたすら「ありがたいなあ」と。
これは不思議な経験でした。

娘には全部説明しました。
どこまで理解できているかは分かりませんが、私の入院中も、埋葬時やお寺でもいい子にしてくれました。
それで疲れが出たのかどうか、直後におたふく風邪にかかって、ゴールデンウィークは全てつぶれました。
ゆっくり休めということだったのか?

ということで、四月下旬からゴールデンウィーク終わりまで、怒涛の日々でした。

赤ちゃんの四十九日も終えて、落ち着いたのでお伝えしようと思いました。

みんな元気です。
これまでの間にも、楽しいこと、嬉しいこと、たくさんありました。

落ち着くまで自粛していたのですが(奥田氏誕生日記事は除く)、絵日記に描きたいなあと思うこともたまっているので、これからぼちぼち描いていきたいなあと思っています。

Photo
久しぶりの絵。
赤ちゃんは男の子だと娘が言うので。
笑っているといいなあ。

| | コメント (10)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »